2.いってきます
2004/10/25




『んじゃ・・・・』
どこか寂しげな光をその金眼に宿して、少年は小さく呟いた。
『ああ・・・気をつけてな』
男は新たな地へ再び旅立つ彼を見送る。その少年はあまりにも過酷な運命を背負っている。禁忌を犯した報いを噛み締め、なおも気丈に前だけを見据えている。
男はそのまっすぐで揺るぎない金の瞳が好きだった。その瞳の強さに惹かれ、また胸を締め付けられるような切なさもこみあげる。
男の言葉にしばらく何も言わないままだったその少年の唇は言葉を紡いだが、それは音にならなかった。
だが、男には確かにこう言ったように思えた。
『・・・いってきます・・・・』-----------------と。






昨夜のこと。
日付も変わるだろう時間にオレが向かった場所。
突然の訪問にも僅かに眉を動かしただけで、大佐はオレを部屋へ迎え入れてくれた。
ひどくバツの悪い思いだったが、大佐はいたっていつも通りの様子だった。
「鋼の・・・・どうしたんだい?こんな時間に。」
まさか会いたかっただけだとも言えず、オレは言葉に詰まった。
「まあいい。とにかく入りたまえ。身体が冷える。」
秋も深まり、日ごとに寒さを感じるようになってきた。もう少しすれば、冬がやってくる。
心を凍らせる、純白の華が舞う、冬が-----。
暖かい部屋に招き入れられたことで、自分の身体が随分と凍えていたことに気づいた。
大佐は何も言わずにキッチンへ行き、しばらくしてカップを手に戻ってきた。
「温まるから、飲みなさい」
言われて差し出されたそのカップからは甘い甘いココアの香り。この家で唯一、オレのためにだけ存在するモノだ。オレはそれをこくっと飲み込んだ。その暖かさに、その優しい香りに、緩みそうになった涙腺をぎゅっと目を閉じることでなんとか堪えた。
ここで泣くわけにはいかない。
もう決めたことなんだと自分自身に言い聞かせる。
そのためにここに来たのだから。いつの間に淹れていたのか、大佐はコーヒーカップを口に運びながら俺を見た。
「で、どうかしたのか?鋼の」
「・・・・なんだよ、来ちゃダメだったのかよ・・・」
どうしても会いたくて来たと言えないオレはいつものようにそっけなく答える。
大丈夫、いつものオレだ。素直になれない、いつものオレだ。
「いや。・・・会いにきてくれて嬉しいよ。私は。」
そう言って笑った大佐の顔は酷く優しくて、胸が詰まる。
そんな心の中を悟られたくなくて、オレは残りのココアを飲み干した。



大佐の腕が伸ばされ、長く綺麗な指がオレの前髪を梳くのを夢の中のような感じで眺めた。その指はしばらくしてオレの頬を包みこむ。
オレは今、どんな顔をしているだろう。
そして、まるでスローモーションのように近づいてくる気配に、オレはゆっくりと目を閉じた。
その夜の大佐は優しかった。
いつもオレにできるだけ負担にならないように優しく労わるように触れてくるが、その夜はそれ以上に優しかった。俺の決心が揺らぐほどに。
オレは現実から目を背けようと、惜しみなく与えられる愛情と快楽に早々に理性を手放した。全身全霊で彼を感じたかった。
最初から様子がおかしかったオレを気遣ってか、大佐は何も聞かずに抱きしめてくれた。その優しさが少し憎らしかった。
大佐が強引に今日オレがここに来た理由を聞き出そうとしてくれたら、オレの決心はあっけなく砕け散ったかもしれない。そんな風に大佐の所為にしたいと思うほど、これからオレがしようとしていることはオレが望んでいることではない。
うっすら目を開くとまだ夜明け前だった。
優しく激しく求められ、最後は気を失うように眠ってしまったようだ。夜明けはまではまだ時間がある。だるい身体に力を入れて、少し身体を動かした。
オレを包む込むように抱きしめている人物が、少し身じろぎをした。起こしてしまったかとヒヤリとしたが、すぐに規則正しい呼吸が聞こえた。頭を少しずらすと彼の顔が見えた。
いつもよりも幼い顔。長いまつげ。いつも気高く凛として近づくことも躊躇するその存在が今自分の目の前にある。安心したように眠る彼の寝顔をこんなに近くで見ているのだ。
いや。
見ていたのだ。
そう、これが最後。
耐えられず、オレは寝返りを打って彼の顔に背を向けた。その途端、昨夜ここに来てから幾度となく我慢していた涙が流れた。
静かに、ただ静かにその涙はオレの目から溢れ出し、シーツに染みを作っていく。
もう決めたんだ。だが、心が叫んでいる。
いやだと。彼と離れなくたいと。彼の一番近くにずっと居たいと心が叫ぶ。
ぎりりと歯を食いしばった。そうでもしなければ、今にも叫んでしまいそうだ。大声で泣いてしまいそうだ。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
だが、どうすることもできない。
オレは目を閉じて、包み込まれている暖かさにただ涙を流した。




パタンとドアが閉まった。
「・・・いってきます・・・・。」
どうしても言えなかった言葉をもう一度呟いた。
言えるわけなどない。
だって、もうここには、彼のところには戻ってこないのだから。
でも、それでも、オレは言いたかった。夢でもいい。彼のところへ帰れる夢を・・・・・。
もう二度と会えない。
『さよなら』と言わないのは、言いたくないのはオレの我侭だ。もう会うことはないとわかっている。今日で最後なんだ。わかってる、わかってるっ。
さようならと言ったら、もう完全に終わってしまう気がした。ここですべてを断ち切られてしまう気がした。それはいやだ。
もう少しだけ、淡い希望に縋っていたい。決して叶うことはないが、今の時点で断ち切ることはできない。もう少しだけ、オレに残された僅かな時間だけ。
オレにはもう時間がない。
遅かれ早かれ、こうなることは気がついていた。
幼い頃に負った傷。機械鎧の手足。それらはまだ成長途中だった幼いオレの身体に酷く負担を掛けていた。加えてオレは体術の取得のため更に身体を酷使したのだ。
もう、そう長くは持たない。
身体の不調は既に誤魔化しのきかないところまできていた。だが、彼には知らせたくなかった。旅先でのオレ達を気に掛けてくれていることは知っている。嫌味を言いながらも、オレ達の有利になるように便宜を図っていてくれることも。
だから、決して弱みをみせられない。
そして何より、オレの最期を感づかせたくなかった。
最後の逢瀬はオレが今まで通りのオレで居られるうちにしたかった。今までのオレの姿をあんたの脳裏に焼きつけてほしかったんだ!
「・・・っく・・・・・」
俯いて、ぎゅっと拳を握り締めた。
胸が締め付けられる。息が詰まる。
オレ、あんたが好きだよ。大佐。あんたのすべてを愛してる。
「・・・・・愛してる・・・」
オレは歩き出す。最後までオレ達は希望を捨てはしない。可能性のある限り、旅を続ける。だから、どうか・・・・・。
彼に・・・・・・。
エドはまっすぐに前を見据えた。その目からは涙が零れ落ちたけれど、強い眼差しは遥か彼方をじっと見据えている。
ありがとう、大佐。いってきます。
そう心で呟くと、歩き出した。共に運命を切り開く弟のもとへ-----。




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すいません、暗くて。
明るい話を・・・・と思っていたのになぜかこんな話になってしまいました。
申し開きの言葉も見つからない・・・・どーしよ・・・・。


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