翠玉の季節の中で







晩飯は秋月が作った。
迷惑をかけてしまったお詫びにと彼が作ると言い張った。
何か手伝いをとキッチンへ立ったもののかえって秋月の邪魔になったため、早々にキッチンから追い立てられてしまった。
俺は彼に任せることにして、風呂へと向かった。
風呂から上がった俺は一瞬目を疑った。一応買出しをしてきていたとはいえ、俺の貧疎なキッチンから生み出されたとは到底思えない品々が食卓に並んでいる。
いや、俺だって自分が食うくらいのものはそれなりに作れるんだっ・・・・って誰に弁解してんだよ。自分。



「あの。どうでしょう?」
「あ?」がつがつ食っていた俺は秋月の言葉の意味がすぐに理解できず、まぬけ顔できょとんとしてしまった。
「え、僕の料理。お口に合いませんか・・・?」
「だ〜か〜ら、敬語はやめろって。飯、めちゃくちゃ美味いよ。ほんとに。」
そう答えて笑いかけると、秋月は恥ずかしそうに俯いた。その様子はなんとも言えず微笑ましいもので―。
なんでこいつこんなにかわいい仕種をするんだろう。
あの日、秋月と逢ってから俺の中の何かが変わってきているのを否定することはできなくなっていた。



食後にコーヒーを飲みながら、はてどうしたものかと悩んでいた。(ちなみにこのコーヒーも秋月が淹れてくれた。)先程から会話が続かない。相手はおとなしい子だ。もう少しおしゃべりだったら気が楽なのに・・・。
”もっと彼のことが知りたい”
気まずい沈黙の中、さっきの願望が再び湧き上がった。ここで訊いてしまおうか。
家族の話で表情を曇らせ家に帰りたがらなかった。あの夜一緒にいた男とはどんな関係なのか。そして―。”とおる”とは何者なのか。
彼の穏やかで優しげな表情の下に隠れているであろう、もっと生々しい感情を、強い哀しみを、引き摺り出したい。これはもう単なる好奇心などではなかった。
この沈黙を最初に破ったのは秋月の方だった。
「あの・・・、さっきおかしいと思ったでしょ?泊めて欲しいなんて言い出して。僕、家では居場所がないんです。だから・・・」
秋月はおどおどしていたが、俺が頷いて先を促すと意を決したのか家族のことを話し出した。
「僕のうちは家族と呼べるような暖かいものではありません。僕の父は7年前に今の母と再婚したんです。でも、父は昔から女性に誠実な人ではありませんでした。僕を生んだ本当の母もそのことで苦しんでいました。その母はぼくが6歳のときに亡くなりましたが・・・。今の母は父の浮気が原因でお互い冷めてしまったようで二人は言葉を交わすことさえありません。父も母も世間体を気にして離婚をしないだけ。父は仕事が一番の人ですから昔から家に居ることはありませんでした。寂しかった僕は新しい母に気に入ってもらえるよう努力しました。いわゆる”いい子”を懸命に演じたわけです。でも、聞き分けのいい子、手がかからないいい子としか見てくれませんでした。彼らにとって僕はいてもいなくても大して変わりはないんだ。」
「いや、そんなことは・・・・」
思わず否定の言葉を発した俺。秋月は静かに首を横に振った。
「僕が14歳のとき。その日は風邪で学校を休んでいたんです。水を飲みにキッチンへ行くのに階段を下りるとリビンクに母と一緒に若い男の人がいました。二人はすぐ僕に気付いて。男の人は見られたことに少し動揺したみたいでしたが、母が宥めるように言ったんです。”大丈夫。心配は要らないわ。この子はいい子なの。何にもできやしない。”そう言って僕を見ました。母も浮気をしていたってことです。それ以来僕が居ようと母は気にしなくなりました。その一件で僕も彼女の本性を垣間見たし。」
秋月の口調は始終静かだった。彼の瞳には何の感情も映っておらずそこには綺麗な硝子球がはめ込まれているのではとさえ思われた。



ベットを秋月に譲り自分はリビングで寝るつもりだった。が、秋月のまたあの手(つまり泣き落とし?)によりそれは阻止された。秋月は自分がリビングで寝ると言い張り、結局両者の妥協案として”一緒にベットで寝る”こととなった。
秋月が華奢だとはいえ、シングルベットで二人で寝るのはちょっと狭い。
彼は思った以上に早く眠りに落ちた。俺に背を向け胎児のように身を丸くした格好で眠っている。微かに触れている背中から規則正しい寝息が伝わる。俺に家族のことを告白したことが安心に繋がったのだろうか。
俺は暗闇の中、未だ降り続く雨の音に耳を澄ます。
彼の話を聞いた後、俺は言葉が出なかった。どんな言葉を並べたところで何の意味も成さないことは明白だった。俺は黙ったまま彼の綺麗な瞳を見つめ続けたのだった。
ふいに彼が身じろいだ。寝返りをうって俺の方を向くと、自分の腕を俺の腕へ絡めた。俺の左腕を両腕で抱きしめて眠るその寝顔はまだあどけなさが残っていた。
自分を押し込んでいる彼。今日の彼は俺に話したことで少しは救われただろうか?
せめて眠っている間だけでも心安らかに・・・そう願わずにはいられない。
俺は睡魔に身を委ねるように、ゆっくりを目を閉じた。
彼のために俺は何ができるだろう―?







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