繋ぐ愛 [番外編]


秋風に肌寒さを感じ、思わず美穂はジャケットの前をかき合わせた。
ホテルを出たときは空には雲ひとつない快晴だったため、コートを羽織ってこなかった。風はやはり冷たく、それは彼女に深まる秋を感じさせた。
不思議だ。
東京に居ても季節をちゃんと感じているはずなのに、ここで感じる季節は自分が日々感じているものよりもずっと鮮明だ。ここが北国だからかもしれない。
風は多少冷たいが、秋の穏やかな日差しがあるのでそれほど身体を冷やすことはないだろう。
砂利を踏みしめながら目的地へ向かう。そこには菊の花が供えられており、既に誰かが参っていることを物語っていた。
彼女も手にした花を供えた。目を閉じて手を合わせると、秋風に乗って線香の香りが漂っていくのを感じた。
しばらくして漸く目を開けた彼女は、来た道をゆっくりと戻る。駐車場には先程彼女が乗ってきたタクシーが、客の依頼通り留まって待っている。
そのタクシーの方へ向かいながら、彼女は黒いバックからメモ紙を取り出した。
次に向かう場所を運転手に伝えるために。



その家は閑静な住宅地の中にあった。
決して大きいとはいえないその家には、それ程広くはないが庭があり、それはきちんと手入れがされていた。
表札に刻まれた文字に思わず胸が詰まる。
彼女はゆっくりとチャイムを鳴らした。
程なく、中で人の近づく気配がして、ガチャリとドアが開けられた。
ペコリとお辞儀をする彼女に中年の男はにっこり笑い、どうぞと中へ迎え入れた。
掃除が行きとといた室内。余計なものはなく、きちんと整頓されていた。
家主の几帳面さが窺えた。
男は何も言わずに、リビングと廊下を挟んで反対側の部屋に彼女を誘った。そこは襖なので、その部屋は和室になっていることがわかる。
「美穂ちゃん、終わったらリビングに来て。お茶準備しているから。」
美穂がこくんと頷くと、男はその場を離れた。言葉通り、キッチンへでも行ったのだろう。
一人になった彼女は襖を開けた。そこにある深みのある黒艶の仏壇。
「・・・・パパ、久しぶり・・・・」
飾られた遺影に向かって呟かれた声は微かに震えていた。
それは数年ぶりの父親との再会だった。



父親との再会を終えた彼女は、言われたとおりリビングへ入った。
ソファーに腰を下ろした彼女の前に、先程の男は紅茶のカップとチョコレートケーキを置いた。
彼女のちょっと驚いた様子に、男が笑いながら言う。
「チョコレートケーキ、君が好きだって聞いてたから。どうぞ。」
誰から聞いていたのかなんて聞かなくてもわかる。
あの人は自分のことをこの人に話していたんだ。
正直、複雑な気持ちだ。
この人とは何度か会ったことがある。
父の仕事仲間で親友。
でも、本当は心のどこかでそんなんじゃないことはわかっていたと思う。だって、この人といると、この人の前だと、父はとても優しく笑うから。
幼かった私も成長し、恋を知った。そうして私は彼の前で見せる父の綺麗で優しい笑顔の意味を理解した。
そう、父はこの人を愛しているんだということを。
「美穂ちゃんは、近いうちまたロンドンに戻るのかい?」
ケーキを紅茶で飲み込んで、彼女は口を開いた。
「はい。2〜3日後には。今回は、父に会いに来たんです。・・・・あの、・・・古河さん、私結婚するんです。」
「え、そうなの?おめでとう!それを報告に来たんだね」
彼女は頷いた。
「あいつ喜んだだろうなぁ・・・・。あ・でも・・・ひょっとして拗ねてるかも。美穂ちゃん、カワイイ一人娘だから・・・・。結婚式とかは?」
「あ・・いえ。式はしないんです。私も彼もそういうのは苦手で・・・。それに・・・おなかに赤ちゃんがいるので・・・・」
「ええっ?」
「そうなんです。彼の仕事も忙しくて・・・・あ、彼は外資系の会社に勤めてる人で、ロンドンいるんです。だから、私たちロンドンで暮らすんです。」
「そうなんだ・・・・お母さんは?・・・お変わりない?」
一瞬、間があった。
母のことを口にするのはやはり気が引けるらしい。
「ええ、元気です。義理父(ちち)もそろそろ退職なので、二人で田舎で暮らそうかなんて話してるようですが。」
「そう。」
古河は答えて急に黙り込んでしまった。
義理父(ちち)の話題を出してしまったのがいけなったのかも知れない。どうしよう。謝ったほうがいいかもしれない。
そう思って、彼女が口を開きかけたときだった。
古河の真剣な声が彼女に問いかけた。
「美穂ちゃん・・・・怒ってるよね?俺が君に、いや、君と君のお母さんに連絡しなかったことを。いくら翔の希望だったとはいえ、やっぱり君たちにはきちんと連絡すべきだったんだ。・・・・本当にごめん・・・」
うつむいてしまった古河に優しく答える。
「古河さん。・・・・そうですね・・・・確かに最初はなんで知らせなかったんだってあなたを憎く思ったこともありました。小さい頃に離婚したとはいえ、私の父親ですから。それに父のことは好きでしたし。・・・・・でも、今はそうではありません。古河さんのことを怒ってなどいません。寧ろ、感謝しています。」
古河は美穂の言葉に信じられないというように顔を上げた。
そんな彼に、本当だと言い聞かせるように繰り返した。
「古河さん、あなたに感謝しています。父の我侭を聞いてくれたんでしょう。父の意思を優先してくれたんでしょう。だから、古河さんは悪くない。・・・・それに私やっとわかったんです。・・・彼に出会って、結婚することになって、そして母親になって・・・自分が誰かを愛するようになってやっとわかったんです。
父は幸せでした。古河さん、あなたと逢ったからですよ。
本当のことを言えば、初めは信じられなかった。あなたと父の関係が。でも。父は誰よりあなたを愛していたし、あなたも父を愛してくれた。それに気がついた瞬間、私はあなた方の愛を信じる事ができたんです。・・・・・父は、私たちを大切にしてくれました。特に私には随分寂しい思いをさせたとずっと気に病んで。父親らしいことをしてやれなかったといつもすまなそうに私に謝っていました。でも、そういう風に私のことを考えてくれていることが、私にとって嬉しいことでした。そういうのが父親らしい愛情だったんだと思うんです。
でも。
最期に一緒に居たかったのは、最期まで離れたくなかったのは、たった一人。古河さん、あなただったんです。最期のとき、父は・・・・私の父親でもなく、たった一人の人間として愛している人に見送られたかったんだと思うんです。・・・・だから、父は誰かに知らせることを嫌がったんだと思います。だから・・・・」
美穂は立ち上がって座る古河の前まで行くと、優しく彼の両肩に手を置いた。
「だから・・・・ありがとうございました。父を幸せにしてくれてありがとうございました・・・・。」
古河の肩が震えている。
この人はずっと一人で耐えていたんだ。一人で泣くこともできなかったのかも知れない。
父と暮らしたこの家で、すべてに父との思い出が染み込んでいるこの空間で、いったい彼はどれだけの孤独と絶望に苛まれているのだろう。
あまりにも大きな悲愴にたった一人で耐えているのだ。
妊娠すると母性が強くなる。声を殺して泣いているだろう男を静かに抱きとめながら、優しく囁く。まるで自分の子供を慰めるように。
「父のために泣いてくれてありがとう。・・・・父が逝って1年、それでも父の傍に居てくれてありがとう。」
外には早くも夕焼けが訪れ、秋の空を紅く染めていた。




タクシーの後部座席から後ろを振り返ると、古河が手を振っているのが見えた。美穂は軽く会釈をして、小さくなる男の姿を見つめた。
彼はこれからもずっと、父の思い出を胸に生きていくのだろう。父の居ない世界で、たった一人で。
自分の知らない父を知っている男。父の愛した男。
若すぎる父の死。病が父の命を奪ってしまった。
自分ではどうすることもできない大きなものに愛する人を奪われ、残された男。
それでもあの小さな家で、父を思いながら日々を繋いでいくのだ。彼は決して父を忘れはしない。これからもずっと愛してくれるだろう。
今なら解る。
残されるより残して逝く方がずっと辛いんだ。父はどんな気持ちだったんだろう。
どんなに考えても、彼女には優しく微笑む父親の顔しか思い出すことができなかった。
父の辛さも悲しみも苦しみも・・・すべて、あの人は理解して受け止めてくれたはずだ。だからこそ彼はこれからも生きて行くんだ。
残された彼の人生の中で、父との思い出を大切に守っていってくれる。
父は今、愛する人の中で生きているのだ。
美穂は考えながら、無意識に自分がおなかに手を当てていることに気がついた。
そうだ、私の中には新しい命が息づいている。
この子をいっぱい愛してあげよう。父が私にしてくれたように。
そして、この子に教えてあげなくては。
人を愛することのすばらしさを-------。





またしてもやっちまいました・・・・番外編・・・・。
っていうか本編まだおわっちゃいねーだろうがっ!って自分にツッコミしました・・・。
えー、娘からの視点でいつかは書きたいとずっと思っていました。
やっぱり、第三者の目も大切よね・・・なーんて。これは、彼らの15〜20年後です。
なんか知らないうちにこんな結果になってしまった・・・・言い訳もできません。
すいません・・・・はい・・・・・。



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