Sweet Poison 1 |
そのすべてを憶えている。 熱い吐息もなめらかな肌の感触も、俺を呼ぶ甘い声も・・・。 俺が愛したひと。俺が愛しているひと。 そして―。 これからも愛し続けていくひと。 それはあまりにも唐突な出来事だった。 季節はずれの辞令。通常は年度初めに出されるものなのだが、今回は下期に突入したばかりの異例の時期の異動だった。 結城翔は新幹線のホームに降り立った。 やっぱりこっちは少し寒いな・・・・。10月半ばの風を少し肌寒く感じながら彼はホームから遠くの山々を見渡す。紅葉は始まっておりところどころ赤く色づいて秋の気配を充分に感じさせた。 2年ぶりだ。あの時は新緑の季節だった。 あの時もやはりホームに降り立った時にここから眺めたな・・・・。あの時は清々しい空気に包まれたようなそんな気分がした。 今回のこの異動は翔にとって大きな意味を持っていた。地方支店ではあるがそこの技術員を取りまとめるリーダー職として迎えられることになっていたからだった。 今回の辞令は本当に突然だった。翔は一週間前に自分にこの辞令が伝えられた時のことを思い出していた。 突然呼び出され一体何事かと緊張の面持ちでドアを開けた翔に彼はやさしい笑顔を向けた。 部長の津山だ。彼は部長という立場ではあるが常に現場に気を配り、時には自ら新人の指導・監督を行うほどであった。かくいう翔も随分と世話になった上司であり、彼のように・・・という目標であった。 翔が他のメンバーよりも抜きん出ているそのスキルにより一層磨きを掛けることができたのもひとえにこの津山の指導力があってのことだった。彼は翔がまだ新人の時にそのスキルを見出していた。津山としても自分の後継者的存在として翔を育てていたのかもしれない。 「津山部長・・・お話というのは・・・?」 「おお、来たか。・・・まあ座れ。」 そう言って接客用のソファーを指差すと、自分も翔の向かいに腰を下ろした。 「実は突然のことなんだが・・・来週から東北支店へ行ってもらいたいんだ。」 「来週ですか?」 「ああ。急なのは充分にわかっているがちょっと事情があってな。向こうでリーダーとして技術員の教育全般を任せたいんだ。それで・・・」 「ちょ、ちょっと待ってください。リーダーですか?私にはそんな・・・・」 「いや、現場での君の有能さは評判だ。だからこそ君にやって欲しいんだよ。それに現場を理解していないとできない仕事だ。そうだろう?」 「そ、それはそうですが・・・」 津山はポケットからタバコを取り出すと火をつけた。フゥーっと煙を吐き出す。 「ならばはっきり言おう。最近各支店のスキルが低下ぎみなのは君も気がついているだろう?このまま差が出てしまえばサービスの質も低下し顧客の満足度にも影響が出る。そうなってからでは遅いのだよ。今のうちに軌道修復して欲しいんだ。・・・さっき、支店には連絡を入れておいた。時間がなくて引継ぎなどは大変だろうが、やってくれないか?」 「期待していただいているのは光栄です。ですが・・・私などで・・・・」 津山は翔が言いかけたのを少し手を上げて遮ると、昔を懐かしむような表情をした。 「向こうの部長は私と同期でね。ちょっと口は悪いがいい奴だ。俺達はずっと良きライバルだったんだ。15年ほど前に奴が向こうに異動となってからは時たま会議で顔を合わせるくらいになってしまったがね。・・・奴の頼みなんだよ。優秀な人材を紹介してくれという・・・。あいつはこの仕事にすべてをかけているような奴でね。必死なんだ。」 「・・・その方というのは関口部長ですか?」 「そうだ。結城、知っているのか?」 「はい。2年ほど前に新人教育で行った時に少し・・・」 「そうか。奴は君を覚えていたのかも知れんな・・・。教育を一貫して任せられる人材がほしいとのリクエストだったからな。」 津山は納得したようにうんうんと頷いた。 翔は何と答えたらいいものか戸惑っていると、真剣な眼差しで津山が言う。 「結城。これを安心して任せることができるのはお前だけなんだ。了解してもらえるか?」 この津山にここまで言われて断ることなどできない。翔は覚悟を決めた。 「わかりました。精一杯やらせていただきます。」 「そうか。・・・よかった。」 津山は本当に安心したように息を吐いた。 「結城、期待してるぞ。・・・関口を助けてやってくれ。」 「?部長・・・それはどういう・・・・」 どうも津山の言動が気になる。翔はこの急な辞令には他にも何か理由があるように思えてならなかった。 「関口がお前と話したがってる。向こうへ行ったら奴の相談に乗ってやってくれ。」 津山は翔の質問には答えず、そう言うとまた優しそうな笑みを浮かべた。 |
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