さくら 《前編》 |
7年ぶりの景色は全く変わっていなかった。 穏やかな空気は相変わらずで俺を優しく包んでくれたが、それがかえって俺の神経を逆撫でした。 肝心な時には、助けを求めていた時には助けてくれなかったじゃないか! だったら、はじめから優しくなんてしないで欲しかった。放っておいてくれればよかったじゃないか!なぜ、俺に優しくした?なぜ、俺に甘えることを覚えさせたんだ? 人の優しさを知らないままのほうが楽だったのに。 生暖かい春の夜風にあたりながら、忍は当てもなく歩いていた。のどかな田畑が広がるこの田舎町は日が暮れるととたんに人影がなくなる。 ざさっ・・・・強い風にとっさに目を瞑った。風は忍の柔らかな髪を乱した。ゆっくり目を開けると桜の花びらが数枚闇の中に舞い散っているのが見えた。淡いその花びらはゆらゆらと揺れながら、風に流されてやがて見えなくなった。 桜? 周りを見渡すと、忍の身体がびくっとなった。 当てもなくただ歩いていただけなのに、彼の足は自然とここに向かっていた。 もう、昔のことだ。ずっと昔の・・・・。 自分にそう言い聞かせた。ぎゅっと拳を握り、覚悟を決める。 静かに石段を昇る。少し高台にある小学校だ。石段を昇り切って踏み出したスニーカーの足に懐かしい感触がした。その土を踏みしめて、ゆっくりとグラウンドを歩いた。 こんなに狭いグラウンドだったっけ?あの当時はとても広くて大きな世界と思っていたのに。 ブランコ、鉄棒、ジャングルジム・・・・懐かしい。 苦しみも痛みも、何にも知らないままの自分がここで遊んでいたことを思い出す。 それはあまりにも遠い昔のことに思えて、とても現実だったとは信じられない。 ゆっくり歩みを進めると、端のほうにある細い道が見えてきた。 この先は・・・・・あの場所だ。 ごくりと喉がなった。無意識に緊張している。忍はまた拳をぎゅっと握り締めた。 体育館の横を通り、裏手に少し広くなった場所が見えてきた。そこには一本の桜の木。 ざさっ・・・と風が吹きぬけ大きな桜の枝を揺らした。風に散っていく花びら・・・・。 さっきの花びらもここから舞って来たに違いなかった。 満開の桜は暗闇にぼおっと浮き上がり、妖しげで美しかった。 忍はしばらくの間、身じろぎひとつせずに、その桜に見入っていた。 カチリ・・・・。 ふいに物音がして、小さな赤い灯りが見えた。その微かな灯りに浮かび上がったのは長身の若い男だった。桜の木に寄りかかるように立って煙草を吸っている。 ふーっつと紫煙を吐き出して、男は忍のほうを見た。 忍は桜に見とれていて、人がいたことに全く気がつかなかった。物音がした時にはあまりの驚きに心臓が跳ね上がりそうだった。 「怖がるなよ。俺は幽霊じゃない。・・・・ほら」 男は煙草を挟んだままの人差し指と中指で自分の足を差した。 何も反応しない忍にニヤリと口端を持ち上げて見せた。 馬鹿にされたのか? 忍は思った。 男は自分の足のほうを差していた指を口のほうに近づけるとまた煙草を吸った。 忍の心臓はまだドクドク言っている。これはさっき驚いたからじゃない。鼓動はどんどん早くなる。無意識に足が動き、桜の木に、その男に近づいていった。 近くて見るその男は怜悧な顔立ちをしていた。少し細めの目は鋭く、少し怖かった。長めの黒髪はさらさらと男の僅かな動きにも揺れた。忍は不躾にも男をじっと見た。 男は紫煙を吐き出すと、今までポケットの突っ込んだままの左手を忍のほうに伸ばした。不意に忍は伸びてきた細く長い指に顎をすくわれ上向かされた。とたん、唇の上に僅かに冷たく少しかさついたものが触れた。自分がキスされていることに気づき愕然とする。驚いたまま動けないでいると、重なっていた唇が僅かに離れたと思ったら舌で唇を舐められた。 「・・・っ・・・・」 放された忍がキッと睨むように男を見ると、男はさっきと同じように口の端を上げて笑った。 「いつ帰って来たんだ?」 「え?・・・・」 びっくりして問い返した忍に、キツイ口調で再度投げつれられた。 「いつ来たんだと聞いているんだ」 「き、今日の午後・・・・・」 「いつまでいるんだ?」 「明後日まで。明後日の夕方に帰る・・・・」 「明日もここに来い。いいな?」 そう強く有無を言わさぬ口調で言うと、男は去って行った。 また吹き抜けた風が枝を揺らし、桜の下に立ちすくんだままの忍を乱した。 「い、痛いっ・・・・・」 忍は両手を頭の上でまとめて押さえられ、桜の木に縫い付けられていた。 一晩考えたが、どうしてもあの男が気になる。あんな言葉無視して相手にしなければいいのに、なせか忍にはそれができなかった。 結局、あの男の言うとおり、この場所へとやって来たのだった。 男は既に来ていて、昨日と同じように桜の木に凭れながら煙草を吸っていた。近づく忍を突然引き寄せると、忍の身体を桜の木に押し付けて動けなくした。 忍は自由を取り戻そうともがいてみたが、両手は男の左手で頭の上に押さえられ、足も男が密着させて固定されていた。 こんな状況を作り出しておきながら、その張本人は涼しげな顔で煙草をふかし続けている。 「は、放せよっ・・・・なにすんだ!」 忍の言葉にも動じない。 頭にきた忍がさらに文句を言おうと口を開いた瞬間、男は忍に口付けをした。そして、僅かに開いたままになっているその隙間から、煙草の煙を注ぎ込んだ。 「く・・・げほっ・・・げほっ・・・」 煙に噎せて咳き込んだ。 「・・・・げほっ・・・・なにすんだよ?・・・・あんた、誰だ?」 苦しくて生理的に涙が浮かんだ。そんな忍の顔を上向かせると、男の顔が近づいてきた。 また、キスされる! そう思った忍は咄嗟に目をぎゅっと瞑った。しかし、予想していた感触はいつまで待ってもやってこない。恐る恐る目を開くと、至近距離で男が忍を見ていた。 「キスして欲しかった?」 くすりと笑って言われて、忍は自分の顔がかぁっと赤くなったのを感じた。 「なんで帰ってきた?ここには辛い思い出しかないんだろう?何もかも忘れたがってたじゃないか。ん?」 「・・・・あんた・・・・いったい・・・・・」 「おいおい、まだわかんないのか?」 男は心底呆れた口調で言った。 「・・・・・忍・・・・」 自分の名前を呼ぶ低い声が耳元から聞こえた。耳朶を甘噛みされる。 ぞくりと痺れが背中を這い上がった。 「思い出したようだね。・・・久しぶり、忍・・・・・。」 そう言って今度は唇を塞がれた。 |
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ほんとにSSのつもりだったのに続いてしまいました・・・・。 目指すは鬼畜。(ほんとか?)・・・・が、頑張ります。 後編も読んでやってください。 |
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