さくら 《中編》



誰にも泣き顔は見せたくなくて、一人になりたくて、辿り着いたのはこの場所だった。あの頃も春で、この桜は満開だった。
根元に座り込んで、10歳だった俺は泣いていた。
あの頃はただただ毎日が辛くて、逃げ出したかった。だが、それも叶わず幼いながらもただ耐えるしかなかった。
あの当時、父に毎日のように殴られていた。その父は俺の本当の父親ではない。1年ほど前に母が再婚したのだ。夜になると父は酔って俺に手を上げた。俺の母はホステスで夕方になると出勤するため、夜はいつも父と俺の二人だけだった。俺は毎日夜が恐ろしかった。父は初めからそんなことをする人ではなかったのだが、その地獄は半年前から始まった。仕事がうまくいかなくなった父は次第に酒に溺れるようになった。恐らく、母にも手を上げていたのだと思う。父は僕の身体を殴ったり、蹴ったりした。顔など目立つところには傷をつけないため、誰にも気づかれなかった。俺自身も誰にも打ち明けられなかった。母にすらだ。
情けなかった。子供ながらに何にもできない自分をそう思った。
涙が出た。傷が痛むことよりも、心が痛かった。
寂しくて辛くて、どうしようもなく悲しかった。
さっき蹴られた背中がずきずき痛んだが、身体を折り曲げるようにして根元に蹲って泣いた。
「どうしたの?」
ふいにかけられた言葉に驚いて俺は涙でぐちゃぐちゃな顔を上げた。
自分よりも少し年上らしい少年が心配そうに覗き込んでいた。
「なんで泣いてるの?・・・どっか、痛いの?」
あたりは真っ暗で普通だったら子供が出歩いている時間ではない。しかし、その少年は一人だった。俺は何にも答えることができずに、ただ涙を流し続けた。
その少年はそれ以上なにも聞かず、俺の隣に座り込んで背中をゆっくりさすってくれた。彼の指がさっき蹴られた場所を僅かに掠って少し痛かったけれど、そんなことはどうでもよくなった。痛み以上にそのふれあいがたまらなく嬉しかった。その人の手の感触に、俺は今まで出せなかった声を上げて泣いた。ぎゅっと抱きしめてくれるその少年はとても暖かかった。
その日から毎晩俺はその場所に行った。根元にしゃがみこんで彼を待つのだ。やがてやってくる彼は、俺がいるのを見つけると必ずやさしく俺の名前を呼んだ。
「忍・・・・」
「佑にいちゃん!」
そう呼ばれた少年は6年生の石井佑一(いしい・ゆういち)といった。
佑一は忍の隣に腰を下ろす。すると、忍は佑一にぎゅっと抱きついて離れない。
「佑にいちゃん。今日もあれして・・・・」
「え?今日も・・・・」
「・・・うん・・・・だめ?」
忍は甘えるように上目遣いで訊ねた。
「べつにいいけど・・・・してほしいの?」
「うん、だってすっごく気持ちいいんだもん」
少し恥ずかしそうに強請る忍に、仕方ないなぁと呟くと、佑一は忍にゆっくり顔を近づける。
まだ幼いぽってりとした忍の唇に自分のを押し当てる。
唇を離すと、忍は物足りなそうにしている。
「佑にいちゃん、もっと欲しい・・・・」
「・・・・んじゃ、ちょっとだけ口開いてて・・・・」
忍は言われたとおりにほんの少しだけ口を開いた。
佑一は忍に再び唇を重ね、少し開かれたところから舌を入れた。忍の小さな口の中で忍の舌と触れると、舌同士を舐め合うように絡める。
「・・・・ん・・・・っ・・・」
ちょっとした好奇心で始めたこの行為に、幼い二人はすっかり夢中になった。二人だけの秘密の場所で、二人だけで行う秘密の行為・・・・。それはひどく魅力的に思えた。
特に忍にとっては辛い現実をほんの僅かな間であっても忘れることができた方法だった。佑一にしてもらえるこの気持ちいいことは、忍の何よりの楽しみだった。
だが、そんな忍の幸せも長くは続かなかった。
とうとう両親が離婚することになり、母親と共にこの町を離れることになったのはその数日後のことだった。母親は父の度重なる暴力に耐え切れなくなって、一刻も早く離れたがった。
まだ帰りたくないと駄々をこねる忍を佑一は明日もまた会えるからと優しく宥めた。その言葉に絶対だよよ念を押して、忍は佑一と別れてしぶしぶ家に帰った。しかし、帰宅して忍が見たもの・・・・そこは修羅場だった。ガラスは割れ、家の中はめちゃくちゃにものが散乱していた。父と母は激しく言い争い、父は母の頬を打った。パァンと乾いた音がして、母は殴られたその勢いで突き飛ばされ畳の上に倒れこんだ。あまりの恐ろしい光景に忍はあとずさった。床に転がっていた皿に足がぶつかり、ガチャっと音を立てた。その物音に気がついた父親が忍のほうを見る。ギラリとしたその目は明らかに憎悪に満ちていて、その形相は鬼のようだった。
「・・・・ひっ・・・・・」
忍の口から出たのはあまりの恐ろしさで悲鳴にもならない叫びだった。
父が忍に近づいてきた。床に散らばった割れた皿の破片を踏んでも歩みを止めない。その裸足の足から血が出ても痛みを感じていないようだった。
・・・・こ、こわい・・・・た、助けて・・・・助けて・・・・佑にいちゃん・・・・
忍は心の中で必死に助けを求めた。あまりの恐怖に声は出せなかった。
助けて・・・・・助けて!佑にいちゃん!
バシッ!
顔に強烈な衝撃が走って、自分の身体がゆっくり宙を飛ぶのがわかった。次の瞬間、ドサッと身体が落ちて右肩に激痛が走った。その衝撃で気絶したらしい。
その日のうちに母親は父から逃げるように町を出た。まだ小さな忍の手を引いて。
忍は佑一ともう会えないのだとなんとなく感じていた。
もう、彼に優しくしてもらえないのだと。




あの幼い日、もう会えないと思っていた男が今忍の目の前にいる----。
彼は唇を離すと忍の目を覗き込みながら言った。
「足りない?・・・じゃあ、昔みたいに言ってごらん。そうしたら、もっとしてあげるよ。・・・・忍・・・・・」
夜。満開の桜。この秘密の場所。二人だけの時間。彼の優しく囁く声----。それらはあっという間に忍の意識を幼いあの日に立ち返らせた。
絡みつくような声色で言われ、忍は熱に浮かされたように言う。
「・・・・ゆ、佑にいちゃん・・・・・も、もっと・・・・もっと欲しい・・・・」
「いい子だ・・・・」
「・・・んっ・・・」
先ほどよりもずっと深く重ねられた。角度を変え繰り返される。隙間から佑一の舌が滑り込み、忍の口内を蹂躙する。歯列をなぞられ背筋がゾクリとした。舌を捕らえられきつく絡み付けられる。飲み込めなかった自分のものともわからない唾液が、首筋を伝った。
「ん・・・・んんっ・・・・っ・・・っは・・・・」
忍の足はがくがくと震え、遂には持ちこらえられずがくんと力が抜けてしまった。
倒れこみそうになる忍を佑一が抱きとめる。
「くくっ・・。あぶないなぁ・・・・そんなに気持ちよかったのか?感じて立ってられないほど」
事実を言い当てられて、恥ずかしさのあまり眩暈がした。
羞恥に必死に耐えている---そんな表情も男を煽ることにしかならない。激しい口付けによる荒い呼吸、濡れそぼった赤い唇、潤んだ瞳・・・・・。
「せっかくまた会えたんだから、今日はもっと気持ちいいことをしよう。」
そう甘く囁いて、忍をきつく抱きしめた。
はぁっと忍の口からは熱っぽい吐息が漏れた----------。






・・・・すいません。
あれほどSSといっていたにも関わらず続いてしまいました。中編です。
もちろん、次回の後編で終わります。
最後までお付き合いくださればうれしいです。



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