翠玉の季節の中で






激しい後悔で俺の心は引き裂かれそうだった。
そんな胸の痛みを隠すように秋月から顔を背けると、俺は屈みこんだ。
さっき彼を引きとめようと腕を掴んだ時に落ちたリュックを拾う。立ち上がった瞬間、どんっという衝撃に俺はバランスを崩して尻餅をついてしまった。
秋月が俺に抱きついてきた。俺の背中に両腕を伸ばししがみついている。
「せんせいっ・・・・。」
俺は秋月の心情が図れずにいた。引き剥がそうとしたが、秋月はますますしがみつく腕に力を入れて首を横に振る。
「先生のこと・・・好き。」
しゃくりあげながら懸命に俺に訴える。俺は思いもよらない彼の言葉に心臓が止まるかと思った。彼は確かに言ったのだ。俺を好きだと。
「秋月・・・・お前・・・。」
「でも・・・、先生はきっと失望する。本当の僕を知ったらきっと嫌いになる!」
「秋月!どんなお前でもこの気持ちは変わらない。その程度の想いじゃない!」
暫しの沈黙の後、秋月は心を決めたように言った。
「僕の話を・・・聞いてくれる?」
「わかった。秋月、リビングへ行こう。そっちで聞くから。」



秋月を立ち上がらせるとリビングへ促した。ソファーに座らせ水を持っていってやる。俺もソファーへ腰を下ろす。秋月はこくこくと水を飲みゆっくり口を開いた。
「・・・以前、夜の街で会いましたよね。僕が男の人といるとき。」
「ああ。それに、先週の土曜の昼前にもグランドホテルにいたんだ。」
秋月の表情が強張った。
「そうですか・・・。」
「連れの男は俺に気付いたようだったよ。」
秋月はまだ半分以上残った水のグラスをテーブルの上に置いた。
「・・・あの人は二階堂俊彰という人で半年ほど前に知り合って。僕達は同士みたいなものです。わかってもらえるかわからないけど・・・。」
「同士?でも、お前達は・・・その・・・。恋人とかそういう関係じゃないのか?」
「いえ、僕達は生きていくのにお互いを必要としてたけど、そんなんじゃない。お互い利用し合っていたんです。僕は弱くてずるいんです。臆病です。なにより怖いんです・・・。捨てられるのが・・・怖いんです。」
「秋月・・・。」
「中学3年の時、その人は教育実習で僕の中学校に来ました。僕は本当に好きだった。本気でした。その人も僕を好きと言ってくれて・・・。でも、後になってわかったことだけど、その人には僕と会うずっと前からちゃんと恋人がいたんだ。僕は遊ばれたんです。・・・ふふ、当たり前でしょう。僕は子供だったし、それにその人は男の人だったし。初めから遊びだったんですよ。その人にとっては。でも、その頃の僕は彼のことしか考えられなくなってたからすごいショックで。もうこんな辛い思いはしたくないって・・・。
前に話した通り僕は両親からも必要とされていないでしょ。本当はとても寂しくて。誰かの必要とされたいっていつも思ってた。でも、その反面誰かに頼るのは怖かった。また裏切られたらどうしようってびくびくしてました。あの時のように傷つくのが怖かった。だから、いつもそうならないように本当の弱い自分を隠して偽りの自分で生きてきたんです。できるだけ人当たりを良くして。心を開かなければ傷つくこともないと思ったから。
そんな時に俊彰と会ったんです。彼は僕に自分と同類の何かを感じたみたいで。僕達は取引したんです。お互いを利用し合うことを。僕はほんの一時でも欲望に満ちた肉体的なものだったとしても何でもいいから誰かに求められたかった。必要とされている実感が欲しかった。俊彰は暇つぶしのための割り切った遊び相手が欲しかった。僕達の利害は一致したんです。僕は先生が思っているような人間ではありません。がっかりしたでしょ。学校じゃいい子の僕の本性はこんなに醜い・・・。」
秋月はそう言って顔を背けた。
「お前が倒れたことがあったろう?俺が保健室に連れて行ったとき。その時お前、魘(うな)されながら俺を’とおる’って呼んだんだ。それって・・・。」
「’とおる’というのはその教育実習生だった人の名前です。先生の後姿がちょっとだけ似てるんです。全校集会ではじめてみた時にちょっと驚きました。」
俺の脳裏にあの時の彼の表情が甦った。俺は浮かんできた悪い予感を打ち消すことができなかった。
「・・・そうだったのか。・・・お前、どうしてあの雨の日俺に話した?お前の家族のことをどうして俺には打ち明けてくれたんだ?」
「え?それは・・・。」
俺は自分の口調が冷たくなるのを抑えきれなかった。
「秋月、わからないのか?それは俺がその’とおる’って奴に似てたからだろう?お前はまだそいつが忘れられないんだよ!」
「!」びくんと秋月の身体が揺れた。俺は畳み込むように言葉を続けた。
「お前は俺をそいつと重ねて見てたんだ。お前は俺のことを想ってくれていたわけじゃない。お前はずっとそいつのことを・・・」
秋月は俺の言葉を遮るように叫んだ。
「違う!そんな風に思ってない!あの人のことはもうずっと前に終わったんです。・・・確かに初めは後姿が似てたから気になってました。それは事実です。でも、そのうちに先生のことがいつも気になり始めて。それが何故なのかよく考えてみたんです。怖かったけど自分の気持ちと向き合ったんです。・・・僕が好きなのは先生です。僕は他の誰でもないあなたが、’大河内純一’という人が好きなんです!」
彼は視線をまっすぐ俺に向けて決して目を逸らすことはなかった。
裏切りによって傷つくことに怯えながらも自分を委ね愛を求めずにはいられない。幼く愛情に不器用な彼。矛盾を孕でいようとも彼という存在が俺には愛しく思えたのだ。


俺はいまだ逸らされることのない秋月の視線を受け止めるかのように彼を見つめた。二人の視線が交じり合う。
「気持ちは変わらない。俺はお前が好きだよ。・・・辛かったな。話してくれてありがとう。」
彼の目から涙が溢れた。
「秋月、俺を信じろ。お前を絶対に離さない。俺の全てで守るから。お前はそのままのお前でいればいいんだよ。」
秋月は静かに頷くと目を閉じた。俺は秋月の唇に自分のそれを重ねる。初めての秋月との口づけは、今までのどんな口づけよりも甘く切ないものであった―。









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