Sweet Poison 8



唇が離れていった後、細川は手を伸ばしてもう一度翔を抱きしめた。今度は先程よりも強い力で。
翔は抵抗することもなくされるがままだった。抱きしめられ彼の肩越しに部屋の壁を見つめた。
しばらくして、まだ抱きしめられたままの状態で、翔が静かに口を開いた。
「・・・どうして?・・・・」
その言葉はあまりにも小さく弱くて、細川に向かって言っているというよりも翔が自分自身に向かって言っているように思えるものだった。
「・・・どうして?」
翔は繰り返した。
細川は翔を抱きしめたまま言った。
「・・・なぜだか・・・・それは俺にもわかりません。でも、こうしたかった。・・・・だから、・・・だから謝りませんよ。」
「・・・細川?」
「俺はあなたをもっと知りたい。あなたはいつも人と距離を置いていて決してそれを詰めようとしないし、詰めさせようとしない。なのに、人を惹きつけるんだ。・・・・俺はあなたという人間に興味がある。」
翔は抱きしめられて気がついた。自分がこんなにも人のぬくもりを求めていたことを。ずっとひとり気を張っていた。そんな暖かさなど忘れるほど忙殺されていた。いや、その暖かさを忘れるため、思い出さないようにするため、わざと仕事に逃げ込んだのだ。
「・・・あなたのすべてを知りたい。本当のあなたを・・・・」
「お、おれは・・・、俺はそんなたいそうな人間なんかじゃない。俺を知ったところで何にもなりはしない。」
「いいえ、あなたには何かがあるんだ。でなければこんな・・・」
今までおとなしく抱かれていた翔が細川の胸を突っぱねた。2人の体が離れる。
「やめてくれ!・・・・俺はおまえの興味を満たすほどの人間じゃない!・・・・俺は、俺は弱くて、ずるくて、臆病で・・・・」
細川はナイフで心臓を切り裂かれたような痛みを感じた。翔の悲痛な叫びは鋭いナイフとなって細川の心に切りかかった。
いつも穏やかな翔のこの叫びは細川に少なくない衝撃と、新たな一面を知ることのできた優越感、そして愛おしさを与えた。
翔は泣いていた。涙を流してではなく、悲愴な表情をして。涙を流さなくても人間は泣くことができるんだとはじめて知った。これほどの哀しみを湛えた人間を細川は今まで見たことがない。
細川はゆっくりと腕を伸ばし、翔の頬に触れようとした。振り払われるかとおもったその手だったが、指先が頬をかすった瞬間、翔はビクッとしただけだった。
「・・・・泣かないで・・・・」
「・・・・泣いてなんか、ない・・・おまえこそそんな顔するな・・・・」
そう言われて、細川は自分も泣きそうになっていたことに気付いた。
「もう、構わないでくれ。・・・・放っておいてくれ・・・・」
翔は顔を背け、硬い声で言った。
「なぜ?・・・人と関わることが嫌ですか?・・・・」
翔は答えない。
細川は翔のその態度に愕然とした。
「・・・・それとも俺じゃダメってことですか?・・・・あいつなら、古河雅弥ならいいってことですか?!」
「!」
拒絶されたのではなく、必要とされていないことが、細川を傷つけた。その絶望が一瞬にして強い怒りに変わる。自分が求めてやまない人にとって、必要とされない自分自身に。これほどに求めているのを理解してくれない大切な人にも。
細川の中で凶暴な感情が浮上する。
「・・・顔色が変わりましたね・・・・やはりキーは古河雅弥でしたか。」
「細川!」
「俺はずっとあなたを見ていた。あなただけをずっとね。・・・あなたが古河雅弥を気にしていることは気が付いていました。随分注意していたみたいですね、結城さん。他の奴らは騙せても、俺はそうはいきません。」
「っつ・・・」
「あなたを苦しめているのは、やはり奴ですね。」
細川のその言葉にビクンと翔の体が揺れた。
翔の激しい動揺を目の当たりし、細川は心を抉られたように感じた。この人は彼のことになるとまるで別人のようだ。今までの冷静な人格など完全に消え失せてしまった。この人の心は彼だけを・・・・
「結城さん、何があったんですか?奴に何をされたんですか?何にそんなに苦しんでいるんです?」
違う、そうじゃないんだ!・・・・翔は必死に首を横に振る。彼が悪いんじゃない。彼が苦しめているんじゃないんだ。これは、俺自身の問題・・・
「あなたは何をそんなに恐れているんですか?!」
細川の放ったその問いかけは翔の胸を鋭く貫いた。それは翔にとって容赦ない言葉だった。
細川はきゅっと唇を噛んだ。いらいらする。この人が求めているのは俺じゃない。この人は彼だけを。この人の中には他の誰でもない、アイツだけがいるんだ・・・!



俺は・・・恐れている?一体何を・・・・?
だから逃げているのか・・・・。彼から。彼と向き合うことから。
俺は彼のためを思って・・・・彼の妨げとなると思って・・・・。しかし、本当にそうだったのか?本当にその理由のために彼から目を逸らし、自分の思いを封じ込めたのか?確かにこの思いは世間一般には受け入れなれない類であることは充分にわかっている。しかし、あの日々を共に過ごした彼であればこそ、この気持ちが変わらないこと、いや更に揺ぎ無いものになったことを伝えるべきではないのか?自分はあの後も彼を忘れることなどできなかった。逢いたくて逢いたくて、想いは強まるばかりだった。
でも、それを無理やり押し込めたのは・・・・、彼のためだという理由で自分勝手な都合をつけたのは・・・・・。この俺だ。
そうだ、俺は逃げたんだ。この想いから、そして彼から。
自分が傷つくのが怖かったんだ。彼が自分を忘れているんじゃないかと恐ろしかった。自分はこんなにも彼を想い続けているのに、彼はもうそう思っていないのではないかと不安だった。怖かった。
それであれば、いっそ自分のほうから思いを断ち切って振舞ったほうがいいと思ってしまったんだ。なんて愚かな・・・。もうこの想いを消すことなんてできはしない。この甘い毒に完全に侵されてしまっているのだから・・・・。
「細川、お前は自分に正直だな・・・・」
「結城さん?」
細川は目を見張った。
翔は泣いていた。双瞳から涙が溢れ、頬を伝っていく。
「俺はお前が羨ましい。・・・・俺はつくづく自分が嫌になったよ・・・だが、その自分から目を背けてはいけないと判ったんだ。お前みたいに真っ直ぐにはいかないかもしれないけど、俺も正直に・・・・」
彼の姿に居たたまれなくなった細川は静かに翔を抱き寄せた。その抱擁は先程のようなものではない。もっと純粋で自然なものだった。
細川の腕の中で翔は静かに涙を流し続けた。
もう逃げない。今までの自分と決別し、生まれ変わりたい。もっと真摯に生きていきたい。命ある限り偽らず自分らしく生きていきたい。
ふと翔の脳裏に関口の姿が浮かんだ。彼はそう長くない未来に確実にやって来る終焉の時を受け止めているのだ。そして、生きている。自分らしさを決して見失うことなく、今を。
今まで翔が無理に忘れようと必死に努めてきた誰かに抱かれる暖かさ。その温もりに包まれながら、翔は新生の瞬間を迎える。
深く求める人物に想いを馳せて・・・・。







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