Sweet Poison 7 |
「・・・・さん?・・・・結城さん?」 「え?」 細川の言葉に我に返った翔は、はっとして細川の方を向いた。 「どうしました?ぼーっとして。」 急に黙り込んだ翔をいぶかしげに思ったらしい。 「ああ、ごめん。・・・なんでもない。ちょっと考え事を・・・な。」 翔は殊更何気ないように言って、2本目の缶ビールに手を伸ばした。 最近、気がつくと上の空になっていることが多い。ここ最近の疲れで心身ともに限界なんだろうか。油断したらダメだ。翔は自分に言いきかせる。強気で自分を抑えなければ、感情が表に出てしまう。細川は勘のいい男だ。変に思われなければいいが・・・。 翔の部屋のドアがノックされたのは15分ほど前のことだった。ドアを開けるとネクタイを外し、シャツの第二ボタンまで開けている細川が立っていた。その手には酒やらつまみやらが入ったコンビニの袋がぶら下がっていた。 「どうも。・・・・ちょっと飲みません?なんか時間を持て余してるんですよ。」 コンビニの袋を翔に見せるように少し上にあげて、細川は言った。 翔は多少疲れてはいたが、一人でいるといろいろ考えてしまってネガティブになりそうだったので、細川の誘いにのったのだ。 「どうぞ。」 そうして翔は細川を部屋へ招き入れ、二人の酒盛りが始まった。 「明日も早いから程ほどにしとけよ。」 「へ〜い。わかってますよ。」 いつも翔に敬語で話す普段の姿からは想像できないほど細川の口調は崩れていた。 研修が終わると二人は合流し、いつもよりずっと早目の夕食を取った。ホテルに戻ったのは21:00を少し回った頃だった。 部屋に戻った翔はなんだか落ち着かない。身体は疲れているのに。テレビをつけてあちこちチャンネル切り替えてみたが特に興味を引く番組もやっていない。結局、見る気もないドキュメンタリー番組のチャンネルでそれも諦めた。 ノートパソコンを開いてメールチェックもした。事務連絡が数通と部下からの報告が何通かきているだけで、特に緊急のものはなかった。 困ったな・・・・ いつもなら今の時間はまだ普通に仕事をしている時間だ。会社ではやならければならない仕事はいくらでもある。各メンバーの活動内容をマネジメントしているし、部門としての計画・実績報告の資料も作成しなければならない。これは関口がゆくゆくはこの部門の責任者を翔に任せるといって、彼から依頼されたものなのだ。月2回行われる部門の全体会議にも関口と共に出席している。さらに、細川の教育担当にもなりOJTを行っているのだ。 だから、いつも帰宅は23:00近くになってしまっていた。だが、翔にとってこれくらい忙しいほうがありがたかった。忙しさの中に身を置くことで、余計なことを考えなくてもいいからだ。 雅弥とはもうほとんど口をきいていない。細川のOJTで外出することが多くなったため、社内でも滅多に顔をみることがなくなったいたのだ。 それでも彼からメールであがってくる活動報告書を見る度に心の奥底に押し込んだままの気持ちが暴れ出しそうになるのではないかとの懸念が翔を不安にさせた。 雅弥の姿が脳裏に浮かぶ。その目が、真っ直ぐな視線が自分を射抜き、本当の気持ちを、想いを見抜かれてしまいそうだ。 孤独の中で思い浮かべる雅弥の姿は、眩しく輝いている。素質あるそのセンスは将来もっと伸びていくものだ。 雅弥との距離がどんどん大きくなる。だが、眩いばかりの彼の姿は遠ざかっていっても決して見失うことはない。 こんなに離れてしまった・・・。彼からはもう俺の姿は全く見ることはできないだろう・・・。俺からは彼の眩しい姿がわかるのに・・・・・。 細川は翔の様子の変化に気がついていた。 細川が異動となって翔のところに来た時から、違和感を感じていた。傍目には冷静沈着に見えるその姿のほんのわずかな一瞬に動揺の影が見え隠れするのを、細川は見逃さなかった。 細川は以前新人研修のためにここへ来た時から翔のことを知っていた。もちろん当時は部門が違うため彼らの接点は全く無かった。優秀な教育担当者が来るという噂は社内に広まっており、細川もそれを耳にしていてその人物への興味を持っていた。 本社から優秀という推薦の人物だ。一体どんな奴なんだ? 細川はまだ見ぬその人物について考えを巡らせた。 細川は物心ついた頃から人から一目置かれる少年だった。幼少の頃から成績は学年で常にトップクラスで運動神経も優れていた。彼はなんでも常に無難にこなし、これといって苦手なものは何一つなかった。当然のように教師には気に入られ、いつも生徒会長を務めてきた。地元名門進学校の高校から指折りの有名大学へ。それは誰もが羨ましがるほど順調で華々しい学歴だった。 だが、彼は決して精神的に満たされてはこなかった。そんな華々しい経歴など彼にとってははっきり言ってどうでもいいことだった。ただ、人に負けることが気に入らなかった。誰にも心を開いてなどこなかった。開く必要もなかったのだ。他人に深く関わることなく生きてきたのだ。 そんな彼が翔に興味を持ったのは、彼が「優秀」という噂だったからだ。 本社からやって来た「優秀」な彼は細川にとって意外だった。細川が予想していた人物像とは違っていたのだ。穏やかな表情、柔らかな物腰。細川は思った。 『やはり、あれはただの噂だったか?別に騒ぐほどのことじゃない。』 だが、そんな細川の考えは見事に打ち砕かれることとなる。 翔が教育担当としてやってきて1週間ほどで彼の仕事振りはたちまち噂となって広まった。外見からはとても思えないほど仕事に厳しく、常に完璧。 細川はますます「結城翔」という人間に興味を持った。彼についてもっと知りたいと思った。何を見、何を感じ、何を思うのか・・・。それが無性に知りたいと思った。 細川が上司に異動願いを提出したのは、それから間もなくであった。 「結城さん」 細川はまた、翔を呼んでみた。 僅かだがテンポが遅れて、自分が呼ばれたことに気が付く。 いつもそうだ。以前の彼とは何かが違う。今の彼は何かを抱えている。それは間違いなく彼の精神を疲労させるものであることは想像できた。 仕事面でそのことが影響を及ぼすことなど決してなかった。だが、確実に彼を悩まし心労をかけているものが彼の中に存在しているのだ。 細川は薄々気付き始めていた。 この部署へ異動して、結城と一緒にいるようになって。 ほんの僅かに変化する翔の表情、感情が滲み出そうになる瞳や仕種。それらは本当に一瞬のことではあるが、本当の結城翔いう人間が垣間見ることのできるものだ。普段彼は意識的に感情を押し込み自分を偽っている。本当の彼を、彼の本心を知り得る人物は限られている。 事情を知っている人物、付き合いの長い人物、そして・・・・・彼が愛している人物。 普段感情を表に出さない人間ほど、そのうちに秘めたものは激しく強いものだ。自分もそういった類の人間だし、彼自身もおそらくそうだと思う。 あの心の中にいったいどんな思いが秘められているのか。どれほどの情熱を抱えているのだろうか。 疲れた身体は正直だった。生来アルコールに強くない翔は既に酔い始めていた。 頬をうっすら桜色に染め、瞳にはいつもの力みがなくなって、その表情は本当に穏やかで優しげだった。 そんな翔を細川はちらりと見やった。 間違いないだろう。2人の間に何かがあったのだ。それは仕事のこととは思えない。もっと感情的な出来事なんじゃないか?結城さんは新人研修のOJTで彼の担当になったそうだ。きっとそのときに。 翔が感情的な面をこぼす時、ふとした時どこかを見つめる眼差しをしている時、必ずその場には雅弥がいることに気がついたのは最近のことだ。 彼意外、他の誰も気がついてなどいないだろう。それくらい翔の心の動きが表に出ることはほとんどないのだ。 だが、細川だけはそのことに気がついた。それは彼が聡い男だからではない。 それは、いつも彼が翔を見つめていたからだ。常に翔の存在を感じつづけていたのだ。 どうしてこんなにも気になるのか。知りたいと思うのか。こんな気持ち、初めてだ。 今までに感じたことのない思いに戸惑う。 他人に関心を持ったことのない男が、初めて抱いた気持ち。 ああ、彼はやがて思い知ったう。理屈ではないその気持ちこそが、「恋」と呼ばれていることを。そして、その気持ちは甘く、苦しく、幸福であることを。 目の前の人を見つめた。軽く酔っ払ったその人をとても愛しく思う。細川は彼に向かって微笑んで見せた。 突然のその笑顔の意図がつかめず、翔はきょとんとした。 その瞬間。 ふわりと風を感じ、とっさに目を閉じた。 細川の腕が翔の身体を抱きしめている。翔自身は何が起こったのかまだ理解できていない。細川が抱きしめる力をふと弱めた。そっと熱い体が離れていく。だが、次の瞬間、唇に暖かい感触を感じた。 部屋にはつけっぱなしのテレビの音だけが聞こえていた。 |
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