Sweet Poison 4




部屋に戻ると関口はすぐにソファーに身を沈め、少しすまなそうに目を伏せながら言った。
「本当は早速、今後の打ち合わせをしたいんだが・・・」
そう言った関口の顔には疲労の色が表れていた。
「やはりどこかお体が悪いのですね?」
「・・・ああ。少し待ってくれないか。じきに楽になるから・・・」
関口はぐったりとしたまま口を開いた。
「私のほうは全然構いませんから・・・」
「すまん・・・・」
体調の優れない今の関口には多少の休息が必要だった。彼の回復を待つため、翔も静かにソファーに腰を下ろした。
翔は目を閉じ、雅弥と視線を交えた先程のあの一瞬を思い返した。
あのまま彼を見つめつづけることはできなかった。彼から目を逸らされることが恐くて、自分から目を逸らした。
しかし、一瞬であったが翔は感じた。ああ、一人前になったな。がむしゃらになっていたあの頃とは違い、落ち着いた雰囲気だった。あれから彼は様々な経験を積んで技術員として立派に成長したのだろう。もともと彼にはセンスがあった。随分とスキルアップしているに違いない。
翔は自分がひどく誇らしげに感じていることに気がついた。当時の彼の才能に気がついた自分の読みが当たったのが嬉しいからなのか。それとも、純粋に彼が立派になったことが嬉しいのか・・・。
しかし、その一方では別の思いに慄(おのの)き出した自分がいた。彼は今、格段にスキルアップしている。それに比べ自分はどうだろうか。彼と別れてから彼への想いを忘れようと懸命に仕事に打ち込んできたが、あの頃よりスキルアップしているだろうか。当時、彼は自分を尊敬していると言ってくれたが、今となってはどうだろう。・・・たいしたことのない男だとおもわれるのではないだろうか。今の俺に失望し、あの頃のことを深く後悔してしまうかもしれない・・・・。
彼の真摯で真っ直ぐだったあの瞳には翳りがあった。深い悲しみを湛えていた。何があったのだろう。
やはり、自分が再び彼の前に姿を現したことが、彼を苦しめてしまったのだろうか。ここに来たことは間違いだったのか。真っ黒な不安の渦が翔の心に生まれた。
「結城君。もう大丈夫だ・・・すまなかったね。」
関口の声に翔は顔を上げた。
先程まで顔面蒼白でぐったりと凭れかかっていた彼は、普通に身体を起こしており、顔色も平常に戻っていた。
「いえ、気になさらないで下さい。・・・もう落ち着かれましたか?」
「ああ。」
関口はゆっくり立ち上がると、自分のデスクのほうへ行き受話器を取った。
「・・関口だ。すまんが茶を2つ部屋へ持って来てくれんか?」
その短い電話を終えると、またソファーへ戻ってきて腰を下ろした。
「今、茶が来る。・・・飲みながら話そう。」
間もなくノックの音がして秘書らしき女性がお茶を運んできた。
お茶がテーブルに置かれると、関口は翔に勧めた。
「さぁ、飲んでくれ。まずは一服してからだ。」
「はい。では頂戴します。」
女性は静かに挨拶をすると部屋から出て行った。
口元に近づけると緑茶のいい香りがした。一口飲んで、翔はふぅと息をついた。普段はコーヒーしか飲まないが、緑茶の芳醇な味わいはいいものだと感じた。
「どうだ、うまいだろう?うちの奴があれこれ買って来るんだよ。身体にいいから会社でも飲むようにってな。・・・」
「そうですか。奥様が・・・・。部長をご心配なさっているのですね。」
「健康に良いんだろうが、俺にはもう気休めにしかならんのだよ。」
そう言って関口は穏やかな笑顔を見せた。そして、彼の告白は唐突だった。
「結城君、俺はガンなんだ。もうあちこちに転移しちまって手術もできない。だから今度倒れたら、もう・・・・。あと1年もつかどうか・・・」
「!・・・部長・・・・」
「そんな顔するな。きれいな顔が台無しだぞ。・・・これも寿命だよ。どうすることもできないんだ。・・・だから俺は死に方を考えているんだよ。どれだけ悔いなく死ねるのかを。」
関口はずずっと茶をすすった。翔はじっと関口を見つめたまま何も言うことができない。
「どんな大きな事故に遭ってもひどい怪我を負っても奇跡的に助かる人がいる。でも逆に、信じられないほど些細なことで命を落とす人もいるんだ。生死はもはや人間がどうこういえるもんじゃないと思うんだよ。やはり決まった寿命なんだよ。・・・ただ、俺の心残りはやはりうちの奴のことでね。ひとり残して逝くことがつらい。一人娘は大阪へ嫁に行ってしまったから。・・・・うちの奴には若い頃から苦労ばかりかけてきた。もちろん今でも苦労かけどうしだが。昔から仕事仕事で生きてきて、何にもしてやれなかったよ。・・・・・」
関口は悲しそうに小さく笑うと、目を伏せた。
翔はそんな関口にかけるべき言葉を見つけることができなかった。この人に一体何を言えばいいのだろうか。そんな言葉など存在していないように思えた。
関口は己に迫っている死を見つめ、その恐怖を乗り越えて向き合っているのだ。そんな人間に、自分のような愚かな者がかけることのできる言葉などあるはずもない。
「俺はぎりぎりまでこの仕事をしたいんだよ。ずっと携わってきたこの仕事の行く末が少しでもより良いものになればと思っているんだ。・・・・まったく俺は馬鹿な男だよ。結局、こんなことになっても仕事が大事なのだから。うちの奴もほとほと呆れ果てているだろうが、こんな男のその最期まで付き合ってくれるらしい。・・・」
少し遠い目をして話していた関口は、またずずっと茶をすすった。
翔は転勤を決めた時、津山が優しい笑みを浮かべながら言ったことを思い出した。
『結城、期待してるぞ。・・・関口を助けてやってくれ。』
「津山部長もこのことをご存じなのですね?」
「・・・ああ。奴には医者から告知されてほどなく話したよ。・・・数年前に新人研修で来てもらった君のことを憶えていたんで、相談したんだ。奴が見込んだ君の力を是非借りたいってね。」
「そうでしたか・・・・。」
「結城君、君には俺の我侭の所為でここまで来させてしまった。君にもいろいろと事情があったはずなのに・・・。本当にすまないと思っている。」
関口は翔に対して頭を下げた。
「部長!・・・そんなことはありません。確かに急なことではありましたが私は自分の意志でこちらに来ることを決めたんです。私でそのお役に立てるのであればこんなに嬉しいことはありません。」
翔の言葉に関口は目を細めると、静かに言った。
「・・・ありがとう。」
この一言は翔の心に優しい余韻を残したのだった。







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